こんにちは!WASEAD編集部です!
さて、今回の筆者は入学したてのピッカピカ1年生!キラキラ大学生デビューに向けて、春休み中に色んな妄想を膨らませていました。
「入学してすぐ、新歓でたくさんワセメシ食べたいなぁ。そして、新入生や先輩と交流を深めて、めっちゃ仲良くなりたいなぁ。5月ごろには、仲良くなった皆と早慶戦観戦に行きたいなぁ…」
…しかし現実は非情です。某ウイルスのせいで、キラキラ大学生になることはおろか、早稲田の聖地・高田馬場へ行くことすらできません。
新歓も早慶戦も中止。筆者の妄想は見事に打ち砕かれ、大学生デビューに早くも暗雲が立ちこめています。
ああ… 早慶戦、行きたかったなぁ…
ここで筆者は疑問に思いました。
「ん?そういえばなんで、早稲田と慶應は毎年試合をしているのだろう?」
「なんで、たかだか大学の試合でこんなに盛り上がっているのだろう?」
「野球以外に、どんな種目で争っているのだろう?」
そう。実のところ皆さんも、早慶戦の起源を、ご存じないのではないですか?早慶戦がどうやって発展したか、知っていますか?野球以外で早慶戦の種目を、いくつ知っていますか?
そんなわけで今回は、
- どのようにして、早慶戦は始まったの?
- どのようにして、早慶戦が発展したの?
- どんな競技で早慶戦が行われているの?
といった疑問を解消していきたいと思います!
この記事を読み終わるころには、新入生の皆さんはもちろん、上級生の皆さんも早慶戦にもっと詳しくなって、もっともっと早慶戦を楽しめるでしょう!
また、上級生の皆さんは、
「先輩!早慶戦っていつ始まったんですか?www」
なんていう新1年生からの腹立つ質問に困ることはないでしょう!
1. 早慶戦の起源 ~その答えは、百年前に遡る~
最初に行われた早慶戦は、1903年11月21日に行われた硬式野球の試合です。なんと100年以上も前!早慶戦の歴史の深さが伝わってきますね!
では、なぜ両校が試合をすることになったのでしょうか。
きっかけは、早稲田大学野球部が慶應義塾大学野球部に送った挑戦状です。送り主は、早稲田大学野球部の第2代主将、「橋戸 信」さんだとされています。
早稲田野球部より9年早く創設されていた慶應野球部は、早稲田野球部にとっての先輩的存在でした。そんな慶應野球部から学びたいという思いが、早稲田からの挑戦状に書かれています。
早慶戦開始の挑戦状。「近日中に試合をしていただき、大いに学びたい。」という内容が書かれています。
そして慶應は「貴校と当校とは是非共マッチを致す可き者」と、早稲田からの挑戦を受け入れます。こうして、第1回早慶戦が行われました。
ちなみに結果は、9対11で早稲田の負け。残念ではありますが、格上の相手と戦った割には、善戦したのではないでしょうか。
出典:早稲田ウィークリー「皆の応援が歴史をつなぐ 伝統の一戦 早慶戦」
第1回早慶戦の早稲田大学・慶應義塾大学野球部の選手たち。後ろにはものすごい数の観客!
出典:早稲田大学大学史編集所『早稲田大学百年史第二巻』早稲田大学出版部 1981年 p.570
第1回早慶戦スコア。当時の記録が残っているなんて、すごい!
なんと、初回にも関わらず、3000人もの観衆が集まったそうです!ものすごい人気ですね!
Point!
- 早慶戦の歴史は、早稲田の挑戦状によって始まった!
- 当時から、早慶戦の人気は凄まじかった!
2. 野球早慶戦の発展 ~二度の空白期を乗り越えて~
さて、第1回早慶戦の後、早慶戦を定期的に行うことが決まります。
しかし、2年後の1906年、両応援団が極度に熱狂し、早慶戦の中止が発表されました。早慶戦が中止になるほどの熱狂って… 当時から、早稲田と慶應の間にライバル意識があったのは間違いなさそうですね。
その後、1925年に早慶戦が再開します。この年は、東京六大学リーグの総当たりが実施されるようになった年でもあります。
しかし、1942年には太平洋戦争の影響で、六大学野球連盟が解体されてしまい、早慶戦もなくなってしまいます。ですが、当時の慶應野球部員の「もう一度、早稲田と試合がしたい」という願いが叶い、非公式という形ではあるものの、1943年10月16日に早慶戦が実現しました。
この試合は後に、「最後の早慶戦」と呼ばれることになりました。こうして、早慶戦は2度目の中止期間に入ったのです。
出典:早稲田ウィークリー「戦後60年の今、振り返る最後の早慶戦」
試合前の写真。スタンドを埋め尽くしているのは学生です。
そして、終戦後の1946年、東京六大学リーグが再開すると、早慶戦も2度目の復活を果たします。
この頃が、最も早慶戦が盛り上がった時期だとされています。というのも、1956年までの11年間22シーズンで、早慶両校が六大学リーグでの優勝を17回獲得するほど強かったからです!
特に、1960年に行われた、「早慶六連戦」は、6日間で38万人もの観客を動員しました。テレビ各局もこれらの試合を放送したそうです。
※早慶六連戦:1960年に行われた、早稲田と慶應の直接対決6試合のこと。定期戦3試合のあと、日没引き分け2試合を含む優勝決定3試合が連日行われた。
当時の早慶戦の人気は、プロ野球の人気を上回っていたそうです。このような経緯があって、今でも早慶戦が地デジで放送されているのかもしれないですね!
Point!
- 早慶戦の歴史には、2度の空白期が存在した!
- 早慶戦には、国民的人気を獲得していた時期があった!
3. 野球だけじゃないよ!早慶戦!
ここからは、現代で早慶がどんな種目で争っているかを紹介していきます。
もちろん、スポーツ以外の分野でも早慶戦は広がりを見せているのですが、今回は、体育学部の中で早慶戦を行っている部を列挙していきたいと思います!
※体育各部:早稲田大学が公認している運動部のこと。
2020年現在、早稲田大学には44部の体育各部が存在します。その中で、慶應とアツい早慶戦を繰り広げる部活はなんと39部!ほとんどの部活が、慶應と争っていますね。
2019年には、以下の体育各部が慶應と激戦を繰り広げました。
アーチェリー部、合気道部、ア式蹴球部、ウエイトリフティング部、空手部、弓道部 、剣道部、ゴルフ部、航空部、射撃部、柔道部、準硬式野球部、少林寺拳法部、自転車部、自転車部、スケート部ホッケー部門、水泳部、ソフトボール部、漕艇部、体操部、卓球部、庭球部、軟式庭球部、日本拳法部、バスケットボール部、バドミントン部、バレーボール部、ハンドボール部、馬術部、フェンシング部、米式蹴球部、ボクシング部、ホッケー部、野球部、ヨット部、ラグビー蹴球部、ラクロス部、レスリング部 (50音順)
ちなみに、2019年には、全部で75試合の早慶戦が行われていました。
早稲田の戦績は、
55勝19敗1引き分け
で、圧倒的に慶應に勝ち越しています。さすがだぜ。
※早慶戦 – 早稲田大学 競技スポーツセンターの情報を参考に、「○、優勝、総合優勝、勝ち」と表記されているものを「勝ち」、「●、準優勝、負け」と表記されているものを「負け」、「△」と表記されているものを「引き分け」としてカウントしました。
Point!
- 早慶戦は、多くの団体間で行われている!
- 早稲田は、めちゃめちゃ強い!
おわりに
いかがでしたか?
本記事では、早慶戦が始まるに至った起源、早慶戦の発展、そして早慶戦が行われている様々な種目を紹介しました。両校は、今や日本の二大私立大学にまで発展しています。これは、早慶戦を通して互いに切磋琢磨しあった結果かもしれません。まさに、「早稲田無くして慶應あらず、慶應無くして早稲田あらず」と言えるでしょう。
今年はコロナで中止になってしまった種目もありますが、これからも早慶戦でバチバチに燃えていきましょう!