熱量だけで「高木や」を語ってみた。

ギヤが食べたい。

オンライン授業が始まり、2ヶ月が経とうとしている。友人と優雅なひと時を過ごすキャンパスライフを想像していた新入生も多いのではないだろうか。オンラインという文明の発展を当たり前のように享受し、慣れ、惰眠を貪り課題を出し忘れる上級生も多いこの頃である。

「何かが足りない」

そう思う早大生は大半を占め、現実感の無い無機質な生活に飽き飽きしている。ただ我々は「何が足りないのか」を言語化出来ていない。このやるせなさをどこにぶつければ良いのだろうか。

wasead一同、いや、早稲田大学広告研究会を代表して言おう。我々に足りないのは「つけ麺高木や」で差し当たり間違いないだろう。我々は敬意を込めて、「ギヤ」と呼んでいる。

行列ができないってほんと??

つけ麺高木や。早稲田駅の横にひっそりとたたずむ、我々の心のオアシスである。昼時でも決して行列が出来ることはなく、どこか雰囲気のあるつけ麺専門店である。行列が出来ない、と聞いて心配になる方もいるのではないだろうか。出来ないという言い方には語弊があった。「あえて作っていない」可能性の方が高い。運営スタイルは誰よりも常連に優しく、我々と店の絆はダイヤモンドを凌駕するほど堅固である。大事なことなので念を押して言おう。「あえて行列を作っていない」のである。

行列を作らせる気がまったくない階段。このことから、あえて行列を作っていないことは自明である。

その特徴はなんといっても、「辛さ」である。

まずはこのロゴを見てほしい。

ムンクのあの有名な「叫び」が大胆にサンプリングされたこのロゴは、高木やを初めて食す早大生を元に再編集されたと言われる(めっちゃ嘘ですごめんなさい)。

ギヤのロゴ。目立たない路地で構えている。

気になるメニューと嗜み方

メニューは主に「マイルド」「あわせ」「辛子みそ」が挙げられる。これらの赤い汁は多くの早大生を魅了してきた。いわゆる「ギヤ汁」である。辛さは辛い順に、辛子みそ>あわせ>マイルドとなっている。見た瞬間に判別出来るものは少ない。ただ、歴戦のギヤ戦士であれば見た瞬間に判別が可能。筆者も3年間通い続け、ある日突然この能力を開花させた。辛いものが苦手な人にも、「ごま」と「しょうゆ」のメニューが用意されており、「ごま」に至っては辛いメニューと混ぜることが可能。ちょうどいい辛さも追求できるシステムだ。

まごうことなき辛子みそ。

その中でも私は断然「辛子みそ」を推す。というか3年間でこれしか食べていないのである。そのくらい、ギヤは我々を飽きさせない。

また麺も特徴的であり、ギヤでしか活かされないであろう極太麺を使用している。もやしとメンマがトッピングされ、添えられた卵は食すものに語りかける。「ギヤ汁の中で泳がせてほしい」と。

この卵はギヤ汁の中で遊泳させることで真価を発揮する。これが正しい食べ方だ。

毎日の味の変化を楽しむことも嗜み方の1つである。辛さが毎日のように変化し、その仕上がりに我々は一喜一憂する。まるでギャンブルをしているかのような心持ちである。そう、ギヤに行くことは合法的な賭博であり、誰も悲しませることはない。

初心者に向けた注意点

悪いことを言うつもりはない。まずは「マイルド」を味わって欲しい。ギヤの特徴を最低限保有し、かつ初めての人にも優しい辛さ(感覚がバグっている可能性があります。普通に辛いって言う人もいます)である。

食したあと、人はそれぞれ思う。次も行きたい、いやもう行かない、など。しかしそのフェーズに入った瞬間に高木やの思う壺なのだ。行きたくないと思っていても、何故かギヤに来てしまう現象を「ギヤ帰り」と呼ぶ。ギヤ帰りは口に入れた瞬間に約束された事象であり、逃れることはできない。意識とは別の、無意識の領域に卵が語りかけるはずだ。「ギヤ汁の中で泳がせてほしい」と。

最後に

ギヤとは概念である。ギヤの本質とは辛さなのだろうか、汁の赤さなのだろうか、麺の太さなのだろうか。しかし目の前の事象は全て虚である。なぜなら見えているものは光の反射でしかなく、辛さを感じさせているのは汁であるという保証もない。このことに気づいた時、私は深淵に誘い込まれていた。ギヤ汁をのぞいている時、ギヤ汁もまたこちらを見ているのである。その深淵に入るや否や、たまごがあの問いかけをしてくる。その時に私はふと気づいた。ギヤは目の前ではなく、自分の中にあったのだと。

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